だいだい書庫

長文を書きたかった時の観劇感想のための書庫です

『Defiled ディファイルド』にとてもはまっていること

 図書館のことを書いてある本を読みたくて図書館へ行ったら、十進分類法では、0類総記の中で、010が図書館・図書館学で、007が情報科学で、図書館の歴史に関する本のすぐ近くにITやデータベースに関する本が並べてあった。ハリー、ああハリーと思わずにはいられなかった。ハリーが愛したものと、憎んだもの、そのあまりの近さに。

 コロナ禍の中で新しい形で動き始めた演劇のひとつ、朗読劇の『Defiled ディファイルド』の配信にはまっている。

 過去に何度か日本でも上演された2人芝居を朗読劇として再構成し、対策を十分にとった劇場公演とともに全公演を収録し、別途VR配信をおこなうというもの。出演者は総勢19名、2人1組で、異なる組み合わせ、異なるキャストでの公演が日々観られるという趣向。

 物語の時代は、コンピューターシステムが社会に出始めた頃。コンピューターによるデータベース化で紙の目録カードが廃棄されることを阻止しようと自身の働いていた図書館に立てこもる司書ハリーと、それを説得する刑事ブライアンの会話劇。

 

 と、なんとなく気取って書き出してみたけど、この物語にめちゃくちゃはまっているので、観て感じたことをとにかく書き残しておきたいというそれだけです、はい。

 

 内容についての正確な情報は全て公式をご参照ください。

STAGE GATE VRシアター『Defiled-ディファイルド-』公式ホームページ/ 公演日程・チケット情報など

 

 

 以下、内容についてネタバレもあれば、核心の話も含みますが、基本的に状況説明なしで、いきなり主観ばりばりの感想から入りますので、ご了承ください。すでにご覧になったという同士の方向けかと思います。

 展開に沿った細かい描写や台詞に感じたことや、いくつか観た組み合わせのキャストごとの違いとか、そういうこともまた別に書きたいです。でもひとまずは、最初に観たときにずっと考えていたことです。これを書いてからじゃないと、先に進めなさそうなので。

 

 

 

 本が好きだということを他者との関わりを絶とうとしていることだと勝手に決めつけてほしくないとか、自分が大事にしているものは世間一般からは簡単に切り捨てられるものだとか、そういう思いは私にもある。一方のブライアン刑事が言う、結婚して夫婦の人間関係に気を配り、子どもの世話をすることこそが現実に生きることだという言葉もまあわかる。そういえば、似たようなことを昔身内に言われて、絶望したことがあったなと思った。ハリーとブライアンの根本的に分かり合えていない部分。

 でもさあ、でもハリー、守れないならばそれもろともに壊してしまおう、という考えになるのは、やはりそれが自分のものだという思いがあったからなんじゃないのか、ハリー。

 どんなに大事なものでも、自分にとっての生きるよすがでも、「図書館」は自分のものにはならない。1冊の本は自分のものにできるし、たくさんの本であっても自分のものにできる。お金があったら自分のための私設の図書館も建てられるのかもしれない。でも、公共の図書館とその図書目録カード(カード式目録)とその蔵書は、どんなに現状が許せなくても、自分の手からこぼれ落ちて消えてしまいそうになっていても、それはみんなのものであって、自分のものではない。そこにある図書も、歴史も、建物も。たまたま今生きている自分が、バトンを持っているだけで、それはみんなのものだ。ずっとずっと前から続いてきたものが、ただ自分が生きている間だけ自分の前にあって、それを次に回さないといけない。

 いや、そもそもは、その次に回すという使命のためにこそ、ハリーが図書目録カードを救おうとしたのだとはわかる。闘おうとしたのはわかる。でも、自分自身と自分の一番大事な図書館そのものを人質にした時点で、もうハリーは正式なバトンは手放してしまっていたんだと思う。

 公共*1のために働くのが図書館の司書なのだとしたら、それが自分の物だと主張する行動をとった時点で、ハリーは図書館の側に見捨てられたんじゃないかとも思った。ただの雇い主の人間である上司ストッカーフィールドにではなくて、図書館というものそのものに。

 ハリー曰く、ストッカーフィールドは「私の図書館」だと言ったという。それをハリーは許せなかった。

「ここは公のものだ。みんなのものだ。ストッカーフィールドのものじゃない」

 その言葉はとても正義感にあふれていて、なのにハリーも結局「自分の図書館」だと思っていたのではないか、ということがとても悲しい。図書館について、ストッカーフィールドは、おそらく経済活動のための資産の一つとみなしていて、ハリーは自分の生きるための大事なものだと思っていた。でもどちらも「私のもの」だと思った時点で、図書館を壊すことになった。ストッカーフィールドは、建物という形だけを残して、中身(図書目録カードのような図書館としての機能の部分)を入れ替えてしまおうとした。ハリーは、その中身を守ろうとしたけれど、建物を壊すことでしか対抗できなかった。それは結局、どちらも破壊行為にしかならない。ハリーの最初の思いは、純粋に図書館を、その在り方を守りたいということだったのだろうけど、それは誰かのためではなくて、結局自分のためだったんじゃないか。

 観ながらずっとそんな風に思っていた。そして、頼むからハリーを止めてくれよお願いだよブライアン!と思っていた。頼むから、あの子*2に自分の一番大事なものを壊させるなんてことをさせないでくれよ、と。

*1:公共とは何かという話も必要だと思うがとりあえず省略する

*2:ハリーが何歳なのか問題もあるのだがそれはまた別で書きたい