だいだい書庫

長文を書きたかった時の観劇感想のための書庫です

「タージマハルの衛兵」を観たこと

うまく言葉にならないけれど、すごい力のものを観たと思った。

すごいものを観た。すごいものを観たなあ。

いつまでも考え続けなければいけないものではないか。

 

 最初に観たときの走り書きだ。似たようなことをアンケートにも書いて出してきた記憶がある。

先日(5月3日のプレミアムステージ)での放映を観て、改めて色々ぐるぐると考えているので、昨年の観劇直後のメモを引っ張り出しつつまとめておく。

(以下、ネタバレを多数含みますので、ご注意ください。)

 

劇場では2回観た。初見では、フマは最終的に自分の保身という考えに押しつぶされて友人の「手を切る」しかなかったのだと思っていたけれど、2回目の観劇時に、この子はそうすることが友人を救う(少なくとも命は助かる)唯一の方法だと本当に信じていたんじゃないかと思った。言葉ひとつ、挙動ひとつの些細なことで「上の人たち」の意を損ねると、手を取られ、命を取られる世界の中にいると、足かせを外して逃がしてやるという選択肢が、消えてしまう。自分たちの力で逃げおおせるということが信じられなくなる。牢から走り出せたとしても、この世界にいる限りは助からない。だから命じられたとおりのことを実行すれば、少なくとも友人の命は助かる。そういう一心だったのかと。

 バ ーブルが、必死でフマを止めようとするとき「お前はこんなことしなくていい」と言ったのは、フマをなだめようということもあるけれど、すでにそれをした彼は(しかも大量に)、その筆舌に尽くしがたい辛さを知っているからこそ、お前はそうするなと、「こちら側」に来るなと、そう言いたかったんじゃないか。命令の通りの「仕事」という、あの悲惨な場を2人とも共有したけれど、やはりバ ーブルの言う通り、切る側と、くっつける側の役割の違いは大きく、切る側になってしまったら、二度と元には戻れないということをバ ーブルはよくわかっていたのではないか。フマを(フマの精神を)守ろうとしたのかなと思った。やっぱり、バ ーブルはフマにとってのヒーローじゃないかと。 

フマが父親に命じられた「仕事」をしようと決めたのは、自分のためだったのか、バ ーブルのためだったのか。自分は助かりたいという思いの方が強くなってしまったからかなのか、それとも、本当にバ ーブルにただ生きていてほしくてやったのか。幼馴染で、親友で、バーイー(兄弟)である彼を。上の命令ひとつで簡単に命を失うこの世界では、ただ足かせを外して牢から出してやるだけでは、到底逃げることなど、生き残ることなど不可能だということがわかっていたからか。だから、それしか選択肢がないとフマは思ってしまったのか。

フマは、親友に生きていて欲しかったのか、永遠にいなくなっても構わないと思ってやったのか、どっちなんだろう。フマは、「仕事」を終えた後に、足かせは外していったけれど、傷口を焼いてくっつけることはしなかった。(剣を3度振り下ろす。倒れこむバ ーブル。剣を戻して、足かせをはずしてやって、牢から出ていくフマーユーンという動き)。このシーンについて、『悲劇喜劇』*1に掲載された脚本では、フマは傷口を焼く(血を止めてやる)ところまでやってから出ていくことになっている。この変更でバー ブルの生死は観客にゆだねられた。フマは、「切る」側になってしまったので、もはや傷口をくっつける役割は担うことができなくなってしまったということなのだろうか。

 

2人の在り方として、自分の本心を喋るバ ーブルと、おそらく本人は信じていないが「正しいこと」だと思うことを喋るフマが強く印象に残った。フマは、仕事について、あの世界での処世術について、自分がそう思うというよりも、「そうすべきこと」だから守っていることがありありとわかる。でも、「上の人間」の意図が全てのあの世界では、「すべきこと」をきちんと守っていると、最後に友人の手を切らなければいけないところにたどりついてしまう。人の手によって建造された美しいタージマハルの美ではなくて、月とか鳥とか自然にあるものの美を信じていたように見えるフマが、バ ーブルという憧れを失って(自分で消し去って)、この先どう生きるのだろうと、観終わった後にそればかり考えている。

「上の方」の意図を極端なほどに気にするフマが、さらっとタージマハルの美を否定したともとれる台詞がある(月の話のくだり)。あの世界の「正しさ」に縛られて本心をほとんど喋らない彼にも、自らが信じる美は確かにあったんだなと。

フマーユーン「今朝、俺たちが振り返ったとき、タージマハルを見たとき、月が落っこちてきたんだと思ったんだ。月が川にぶつかったんだと思った。」

バ ーブル「あれは月なんかよりきれいだよ。」

フマーユーン「いいや、それはない。」

*2

全編を通して、バ ーブルは自分の思ったことを素直に言う。相手が兄弟のような友人であるフマだからだろうけど、取り繕うようなことはせずに本音を話す。一方、フマの意識は「正しさ」に縛られていることがほとんどなので、たとえ相手がバ ーブルでも、それが彼の本心なのか、誰かの受け売りなのかわかりにくい。そのフマが本音をさらっと言った瞬間だった。

フマの言葉で、ああこれは素直な彼の気持ちなんだろうなと感じたのは、第2場の最後の月の話と、第5場のジャングルの木の上のいかだにいる時だけだった。

*1:『悲劇喜劇』2020年1月号,早川書房

*2:「タージマハルの衛兵」第2場の最後の台詞。テレビ放映より。